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2003年2月

2003年2月21日 (金)

◆Caisse Resonante Live 2003+夢で逢えたら

Live2003
開場18:00 開演18:30
セシオン杉並
■前売り 2,800円
■当日 3,000円
■座席:全席自由

今回のカッセ・レゾナントのライブは、七里圭監督の映画とのジョイント・ライブです。 楽団指揮の侘美秀俊は七里圭監督作品『夢で逢えたら』『のんきな姉さん』(2003年公開予定) のサウンドトラックを担当。カッセ・レゾナントのメンバーが演奏しています。当日は『夢で逢えたら』も上映。サウンドトラックの演奏とともに、侘美秀俊のオリジナル曲に七里監督が映像を付けた 『Untitled for Cindy』の競演もあります。さて、カッセ・レゾナントと映画の共鳴は、どんな響きを奏でるのでしょうか?ちょっと、いつもと趣向を変えた、カッセ・レゾナントのライブにぜひおいでください。

* Program

第1部
《カッセ・レゾナントライブ2003》
1、プロローグ(齊藤浩/作曲)
 Hiroshi Saito : Prologue
2、モニカ#1-2-3(侘美秀俊/作曲)
 Hidetoshi Takumi : Monica#1-2-3
3、メデシン・ボオル(侘美秀俊/作曲)
 Hidetoshi Takumi : Medecine-ball

《短編映画『夢であえたら』プレミア上映》
七里圭監督作品『夢で逢えたら』(35mm 20分)

《舞台挨拶》
スローラーナー・越川道夫氏/司会
安妙子、大友三郎、侘美秀俊、七里圭

〜休憩〜

第2部
《長編映画『のんきな姉さん』サウンドトラック演奏》
交響詩『のんきな姉さん』(侘美秀俊/作曲)
Hidetoshi Takumi : tone-poem"No key,My Sister"

《映像と音楽のコラボレーション》
『Untitled for Cindy』
●オーバーチュア-オペレッタ-インターリュード(侘美秀俊/作曲)
 Hidetoshi Takumi : Overture-Operetta-Interlude
●イントロダクション(侘美秀俊/作曲)
 Hidetoshi Takumi : Introduction
●みんなでダンス(齊藤浩/作曲)
 Hiroshi Saito : MIN-NA de DANCE
●ピッチ・アンド・ロール(侘美秀俊/作曲)
 Hidetoshi Takumi : Pitch and Roll

* Member

■演奏:カッセ・レゾナント

Flute /ちぎら ともこ
Clarinet /大嶋 智美
Horn /長嶋 大士
Piano /渡邉 美絵
Violin /帆足 彩+宮下 るみ+中桐 由紀子+半田 愛+尾崎 馬里奈+加藤 麻記子
Viola /波田 生+小野澤 康代
Violoncello /阿形 有佳+岡崎 健太郎
Contrabass /イチ・タカタ
Conduct /侘美 秀俊

Live2003_1
Live2003_2
 
* 上映作品

『夢で逢えたら』
七里圭監督作品(2001年/35mm/20分)

プロデューサー:磯見俊裕
撮影:高橋哲也
整音:白取貢
効果:岡瀬昌彦
記録:田口良子
音楽:侘美秀俊
編集:宮島竜治
出演:安妙子、大友三郎

Yume_1

こんな切れ切れの思いをかき集めて、ぼくは、なにをしようとしているのだろう?

 バスで眠っているうちに、ぼくは"どこか"にたどり着いた。よく知っているような、でも、ぜんぜん知らないような街。長い坂道。揺れるブランコ。ぼくは、ひとりの少女に逢った。誰だろう?やっぱり、よく知っているような、知らないような…。ぼくは、彼女の部屋で眠った。バスは、ゆっくりと坂道を下っていく。その夜、ひどく熱を出した。ぼくは、またバスに乗るだろう。そして、きっと眠ってしまうんだ…。

Yume_2
Yume_3

* live staff

■企画・プロデュース・七里圭、侘美秀俊
■イベント主催・平林勉
■舞台監督・橋爪利博
■映写・藤永一彦
■映像編集・三本木久城、東海林毅
■映像監修・高橋哲也、香月達行、加地耕三
■スチール・宮沢豪
■広報・酒井充子
■制作・工藤薫、奈良井えり、清水悠子、柿原歩美、小池実穂、半澤利一
●Special thanks to
越川道夫、(株)コムスシフト、(株)アプレ、ピーディディ(株)、山口夏江、工藤美雪、清水ゑり子、筒井昭善、小川芳正、澤岳司、日暮謙、武藤綾子、今西祐子、野村純子、佐々木朋、片地奈美、寺尾薫

thanks God and All Frinends!!

◆これまでを振り返り、徒然に/七里 圭
(2003liveパンフレットより)

 1.「デジタルビデオとタクミヒデトシ」
 侘美くんと僕は、知り合って、もう七年近くになる。今回、こんな素敵なイベントを催してもらえるにあたり、どうして彼と出会ったのだろうと思い起こしたところ、それはデジタルビデオの仕業なのかもしれない、と考えるに至った。少々長くはなるが、とりとめのない記憶巡りをしてみようと思う。

 最近では、家庭用のビデオカメラもデジタル(DV)が当たり前で、Hi-8のカメラの方が珍しくなってきたが、僕らの出会いの物語は、まだまだ8mmビデオ全盛の時代にさかのぼる。あれは確か1996年の初頭。当時の僕は、映画の世界で働き始めて六年目の助監督で、仕事も覚えた気になっていて、今から思えばずいぶん生意気なヤツだったはずだ。その時ついていた廣木隆一監督の『MIDORI』という映画で、劇中映画が必要となり、それをビデオで作ることになった。設定は、主人公の女子高生・みどりにつきまとう自主映画少年が、思い余って自殺するときに残す遺書ビデオ、というようなものだったが、それを撮るために、タイアップのメーカーから提供されたのが、発売間もない新製品のDVカメラだったのだ。

 「デ・ジ・カ・ム」と宇宙人が連呼するCMも流れ始めた当初で、物珍しさもあり、僕はそのカメラにすっかり夢中になった。理由は明白、画質が革命的に良かったのだ。それまでの家庭用のカメラは、プロ使用の機材と比べて歴然とした性能の差があった。僕が、旧態然としたカチンコ打ちから映画の現場に飛び込んだのも、やはり手近な機材では、どうやっても映画館のスクリーンには、まだ届かない時代だったからだと思う。しかし、こんなに手軽にこれだけの映像が得られるなら、いますぐ仕事を辞めて、撮りたい映画を作り始めた方がいいんじゃないか?なんて思いながら、みどり役の女優をDVカメラで追い回した。もちろん仕事で、である。ちなみに、その映画で自殺少年役を演じていたのが、ヨースケという芸名のモデルだった窪塚洋介で、あの当時からすでに、ちょっと変わった少年だったのを覚えている。

 さて。侘美くんにたどり着くには、もう一段階ある。その年の僕は、廣木監督の作品が、『MIDORI』以後ことごとく製作延期になってしまい、春から仕事もお金も無く、暇だけ持て余し、途方に暮れていた。そんなときに、近所に住む友人から持ちかけられたのが、岡崎イクコというパフォーマーのドキュメントを撮らないかという話だった。そしてその、仕事とも遊びともつかぬ企てに乗っかった理由は単純で、DVカメラが用意されていたからだった。

 岡崎さんは、当時のアンダーグラウンド・シーンではカルトな人気のあった女性で、夜な夜な怪しげなクラブ・パーティに出没しては、奇想天外なパフォーマンスをする傍ら、指輪ホテルという劇団にも参加していた。この指輪ホテルというのがまた、不思議な活動をしていた女性集団で、一見普通な品の良い女の子たちが、服を脱いだり食事をしたりする様を、オペラのように生演奏付きで見せるという、奇妙な舞台を上演していた。そしてその劇団の、羊屋白玉というキテレツな名の主宰のもとで、淡々とタクトを振っていたのが、侘美秀俊だったのだ。

 侘美くんの音楽は、初めて聞いたときから耳に残った。シンプルな構成で分かりやすいフレーズを奏でる彼の楽曲は、なんだか学校の音楽の時間の器楽演奏のようで、とぼけた味わいがあり、懐かしい感情をかき立てられる。きっとこの人は、子供の時分の、発見の喜びや喪失の悲しみを、今も忘れられずにいるんだろうな。そんな勝手な想像を膨らませながら、僕は遠くからカメラのファインダーを覗いていた。そのころ彼とは、ほとんど口をきいた覚えは無い。あの年僕は、どうやってメシを食ってたんだろうという生活を送りながら、年の瀬まで、ひたすらカメラを回していた。そして年末に、先輩の西山洋一監督の作品が始まり、ようやく現場の助監督に復帰したのだった。

 翌年になり程なく、低予算のVシネマの監督の話が舞い込んだ。僕は早速、侘美くんに音楽を頼みに行った。そこで初めて、彼と会話をしたんだと思う。渋谷のセンター街のルノアールだった。初めてなのにすっかり意気投合して、その割りには淡々と、しかし店員から帰って下さいという合図の渋茶を出されるまで、長いこと話していた。そのあと彼は、わずか数日しか作業にかけられる時間が無かったにもかかわらず、失礼ながら予想以上に、器用に仕事をこなしてくれた。もちろん、楽団を雇う余裕は無いので、パソコンの打ち込み演奏だった。それでも、「何か一つ、生楽器の曲が欲しいね」と伝えれば、アバンギャルドなフリージャズの演奏を、自らポータブルデッキを担いで録りに行ってくれたり、その機転が利いた才気あふれる仕事ぶりに、僕はうならされた。そして付け加えるならば、このVシネマのロケも、低予算を補うべく、DVカメラを多用した撮影だったのだ。

 さらに翌年。今度は侘美くんから、依頼があった。自分の率いる楽団の、結成ライブで流す映像を作ってくれないか、と。それが現在の"カッセレゾナント"で、当時はまだ、確か楽団名が付く前だったように記憶している。ちょうど僕は、テレビドラマの準備をしていたのだが、だからといってプロ使用の機材を借りれるわけもなく、やはりDVカメラを使って撮影をした。そのとき作ったのが、『Untitled for Cindy』である。まあ、家庭用ビデオで何ができるかの実験というか、シンディ・シャーマンの写真シリーズへのオマージュというか、そんな遊びで作った映像なので、今見ると少しテレる。でも今回は、1998年の初演以来の再演なので、個人的には、嬉しい限りだ。

 いずれにせよ、この映像までが、僕にとっては、タクミヒデトシ=デジタルビデオの時代で、この後から次第に、違う図式で共同作業がしたいなと、思うようになっていった気がする。やがてその機会は訪れるのだが、それは次の章で書くことにする。

 2.「わずか35mm幅のセルロイド・フィルム」
 『夢で逢えたら』は、『のんきな姉さん』という映画の製作過程で生まれた作品だ。と言うか、当初、このフィルムの延長上に、『のんきな姉さん』は出来上がるはずだった。それを短編映画に仕上げた経緯について、語ろうと思う。

 実は、『のんきな姉さん』を作る発端も、1996年の『MIDORI』だった。前章で書いた劇中映画を見たプロデューサーに、「何か企画を持って来い」と言われ、提出したのが、山本直樹原作の漫画『のんきな姉さん』だったのだ。この原作の主人公の名は、安寿子(やすこ)という。おそらくその名の由来は、唐十郎の『安寿子の靴』だ。『安寿子の靴』と言えば、森鴎外の『山椒太夫』、つまり"安寿と厨子王"を現代に甦らせた幻想小説の大傑作である。僕は、この数珠繋ぎの原作群を通して、姉弟というテーマに挑もうと思った。太宰治の『斜陽』や、コクトーの『恐るべき子供たち』など、どうして"弟のめんどうを見る姉"は、繰り返し、物語に描かれるのか。それは"姉にめんどうを見られたい弟"がいるからなのだろう。男が女性に依存する心理を、女はどんな目で見ているのか。そんなことを、安寿子という存在を描きながら考えてみようと思ったのだ。

 けれども映画は、作りたいと思えば出来るものでもない。それから三年間、企画は実現せずに眠ってしまう。そして1999年。ようやく出資者が現れ、ゴーサインのもと脚本に着手した。ところが、その脚本のめどが着きかけたときに、プロデューサーが、御家族の不幸で、仕事を長期離れなければならなくなる。プロデュース不在のまま数カ月間、無償協力の助監督たちをリレーで繋ぎながら、準備は進められたが、それもとうとう立ち行かなくなってしまう。そんな窮地を救ってくれたのが、磯見俊裕と、新たな出資者の石毛栄典氏だった。とくに石毛氏の男気には恩義を感じる。彼の不動の心が無ければ、こうして今、映画を日の目に当てることはできなかっただろう。

 さて。磯見プロデュース作品になり、いくつかの変化が起きたが、その中でまず、頭を抱えたのは、脚本を捨てろと言われたことだ。磯見という男は、禅問答のようなことを平気で言う人で、その場は何だか雰囲気に丸め込まれるのだが、後から考えると、言ってること無茶苦茶なのだ。とにかくここから、僕の次の苦悩は始まった。

 当たり前の話だが、映画は、登場人物の生きている時間のすべてを映し出すわけではない。その人物を造形するために、人生のどの部分を切り出して見せるかを示した設計図が、脚本だとも言える。その、ある種のかせを取り払った途端に、頭の中で、安寿子が際限なく増殖しだした。なんせ何年もかけて創造した女である。つきあい初めなら、特徴的なクセや、意外な出来事に目が行こうものの、長年の連れ合いゆえに、何でもないありふれた時間にばかり、彼女を感じてしまう。そうなると、キリが無いのだ。ちょっとした息遣いや、目配せの積み重ねが、人物を造形すると信じ、それを女優に求める。だが、これを演ずれば良いという条件が書かれた脚本は無い。それは、安寿子役の安妙子にとって、地獄の苦しみだったはずだ。

 さらに、この無理難題は、カメラにも向けられた。舞台となる場所ではなく、そこにある光と空気を写し、見えない何かをフィルムに定着して欲しい。そんな抽象的な要求に最後まで付き合ってくれたのが、飲み仲間でもある撮影の高橋哲也とスチールの宮澤豪、制作の澤岳司、記録の田口良子らだった。恥ずかしくなるほど、純粋で映画的な欲求に取り憑かれた数カ月間。けれども人間のやることだ。体力には限界がある。僕らの未熟な闘いは、惨憺たる思いとともに頓挫した。

 そして、映画は仕切り直されることになった。スタッフ・キャストは一新され、僕は、もう一人の安寿子の物語を書いた。それを撮影したのが、2001年の二月。すでに、脚本を書き始めてから二年が過ぎようとしていた。これまでの経緯を遠くから見守ってくれていた侘美くんは、ようやく上がってきたラッシュフィルムを見て、「これは全編、生楽器でやりたいです」と言ってくれた。ついに来たかなと、僕は思った。

 それまでの侘美くんとの仕事は、デジタルな作業だった。デジタルなタクミくんは、スマートで格好いい。『新任女刑務官』のメインテーマなど、胸をすく快作で、このまま埋もれさせたくない名曲だ。でもその一方で、初めて出会ったときの素朴な印象が、侘美秀俊の本当の魅力なのだろうとも感じていた。それは、『Untitled for Cindy』で、彼のオリジナル曲を聞いて確信した。だから、そんな生来のアナログな面を出せる機会にしたいと思ったのだ。

 そうして始まった音楽作りは、至福の期間だった。曲が仕上がるたびに、侘美くんの自宅を訪ねて、聞かせてもらい、打ち合わせして、次回の出来上がりを楽しみに帰宅する。実に四カ月を費やして、全スコアが仕上がった頃、またしても難題が持ち上がった。製作母体の一つだった会社の事情がおかしくなったのだ。磯見が、本業の美術の現場から、「まだ誰にも言うな」と一報を入れてきたときは、一瞬だが、目の前が真っ暗になった。このままお蔵入りの可能性も十分にある。映画は、出来上がるのに完成できない、異常事態に突入する。2001年秋のことだ。しかし、これは絶好の機会かもしれない。僕はそう思い、それまでずっと胸に秘めていた企てを、編集の宮島竜治氏に打ち明けた。それは、2000年に頓挫したあのフィルムを、短編映画にまとめるということだ。磯見も、「ええよ」と承知してくれ、仕上げの作業を開始した。

 一年半振りに未完成のフィルム群を再見して、不覚にも、目頭が熱くなった。そこには、かつての安寿子が生きていたからだ。演ずる安妙子は美しかった。その美しさの前で、大友三郎は頼りなげに佇んでいた。当時の記憶がまざまざと甦ってきた。ラストに繋いだバスのシーンのこと。何も知らずに眠り続ける弟を残して、姉が降車する場面を撮影していたとき、本番になって突然、安さんが持っていた手提げカバンを置いたまま、立ち去ったのだ。どうしたのかと尋ねると、「このまま置き去りになんてできないから」と、彼女は言う。そのとき僕は、それが、求めていた答えなのかもしれないと思った。残されたカバンの意味に、とても、とても感動した。そのことを思い出していたら、ふと、吉田美奈子の昔の歌が脳裏をよぎった。それで、『夢で逢えたら』というタイトルを付けることにしたのだ。

 ‥‥と、ここまで書いてきて、なんだか『プロジェクトX』のような語りっぷりだなと、頭を掻く。だが、これまでの経緯を話すと必ず言われるのは、そこまでこじれるとポシャるのが普通で、成立する方が異常だということだ。それはひとえに、関係者の方々全ての尽力のおかげだし、何よりも、ここに書ききれなかった多くの友人達の支えがあったからなのだ。心から感謝する。そして僕は、このささやかな短編フィルムを一生愛すという言葉で、少々感傷的な文章を結びたいと思う。

 七里 圭(監督・脚本)
 1967年生まれ。代表作はTVドラマ『七瀬ふたたび』、Vシネマ『新任女刑務官』。劇場映画『のんきな姉さん』が、今秋、テアトル新宿にてレイトショー公開。また、脚本を担当した映画も今年公開予定。

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